期待=「認められたい」という自己愛の表れ

ヨガジャーニー田村佳世のブログ

例えば、電車に乗って座っていると、目の前におばあちゃんが立っていたら、誰しもが席を譲るでしょう。

道徳的にとか、周りの目を気にして席を譲る人もいるかもしれないけど、大体は、反射的に行動する。

何の下心も無しに、無意識にアクションを起こすはずです。

 

そのあとに、おばあちゃんがどんな反応を示すのか。

  • お礼と共に席に座る。
  • 当たり前の様にただ座る。
  • 「私はまだ老人じゃない!」と怒り出す。

その他にも色んな可能性があります。

 

おばあちゃんがどんな反応を示すかを、私達は知り得ません。

「見た目が穏やかそうだな」とか、「かなり年齢が高そうだな」とか、外側から得られる情報からいくら予想をしても、そのおばあちゃんに対して「席を譲る」というアクションを起こさない限り、実際には何が起きるか分からないのです。

 

また私達は、自分が起こしたアクションに対して、相手がどんな反応を示すか、とても気になります。

【出来れば良い結果を得たい】

皆そう思うのではないでしょうか?

結果が良ければ喜び、結果が悪ければ、悲しい気持ちになります。

 

 

では、良い結果を得たいから、私達はアクションを起こすのか?

おばあちゃんの例えを使うなら、おばあちゃんに褒められたいから、席を譲るのか?

 

なんか違いますよね?

ただ純粋に、「おばあちゃんの助けになりたい。」というピュアな動機から発生したアクションですよね?

そこにはおばあちゃんがどんな反応を示すかは頭に無かったはずです。

 

【結果に執着しない】とは、この例えのようなものです。

要するに、純粋な自分自身の【利他的】な動機による行動が大切で、その後についてくる結果は私達には関係ない。

つまり、「結果は神のみぞ知る」のです。

 

「結果」は神が決める領域なので、私達はそこに関与していません。

私達は結果を受け取るけれど、結果は選ぶことは出来ません。

 

【利他的な行動】とは、「相手の利益になるための行動」という意味です。

つまり、純粋に相手や社会の事を思って、自分の出来る事を行動する。ただそれだけ。結果にこだわらないのです。

 

良い結果が欲しいから行動するのは、純粋な動機とは言えません。「利他的」に見えて、本質は「利己的」です。

褒められたい、認められたい、という自己愛=執着は、その期待が裏切られた時に激情を引き起こします。

 

何かアクションを起こせば、称賛してくれる人、スルーする人、批評する人、色んな反応が返ってくるでしょう。

でも、どんな時でも大切なのは、【自分自身の純粋な動機と行動】です。

そこに迷いがなければ、称賛されようが批評されようが、私達の歩む道には何の影響も及ぼしません。

誰かや何かに心を乱されることがなくなります。

 

だから、私達はただ純粋な動機によって、利他的に行動し続けられたら、きっと穏やかに自分の道を全うできるでしょう。

周りの人や環境に左右されず、自分らしくいられるはずです。

 

そして【利他的な行動】を通して、実は自分自身も大きく救われます。

利他的な行動は、【我】というエゴを自分から切り離す為の良いトレーニングになり、「利己的」な行動をセーブすることに繋がります。

 

yogaでは【結果は神のもの】という考え方が深く根付いています。

これを心から理解することができれば、結果に期待する思考そのものが消えます。

だからヨガを実践する者は、とうてい知り得ない様な未来の結果に怯えたり、周りの反応に右往左往したりしません。

いつも穏やかで、自分の道をピュアに歩き続けます。

また利己的ではなく利他的に行動し、困っている人や混乱した社会に対して奉仕するのです。自分の出来ることを、純粋な動機と共に。

 

結果に期待しないでください。

私達の手の中に、結果なんて最初からありません。

私達に出来るのは、行動することのみです。

 

自分の行動が、「利他的」なのか「利己的」なのか、注意深く観察してください。

この相反する2つのマインドは、表向きの行動だけでは判断できません。

その行動の動機がどちらから生まれたものなのか、自分自身をしっかり見極めること。

 

本当に心の底から「結果に執着しない」=「期待しない」心が育っているかどうかを見極めたいときは、自分の行動の結果が思った通りにならなかった時の自分の反応をよく観察すること。

もしその時、がっかりしたり、怒りが湧いてきたり、感情が動いたら、期待していた証拠です。

本当に結果に執着していなければ、予想通りの結果でもそうでなくても、私たちの心は反応しないはずです。

 

「期待しない」なんてとても難しいプラクティスですが、まずは自分がどれだけいつも期待しながら生きているのかに気がつくところから始めてみましょう。自分の執着の状態を知るのです。

そこに気が付けばきっと、誰かに認めて欲しい、褒めてもらいたい、という自己愛への執着に気がつくはず。

その自己愛への執着を、ヨガの利他的なプラクティスを通して少しずつ減らしていきましょう。

大丈夫、その執着から解放されるときが必ず訪れます。

自分を信じて「行動あるのみ」です。

 

kayo

 










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