理不尽な死について。

ちょっと重いテーマですが、youtubeの視聴者さんからいただいた「理不尽な死」についての質問に対するお答えを、このブログでシェアしますね。

【質問】
良い人が理不尽な死を遂げたり、悪い人がのうのうと生き延びたり、恐ろしい事件も凶悪犯も減らない世界の状況。
こんな納得のいかない世界を作り出す神とは一体何なのか?
神を恨みたくなってしまうような現実世界を、ヨガ哲学ではどう捉えるのか?

 

死は大きなテーマだし、私の答えが〇〇さんの納得に繋がるかわかりませんが、ヨガ哲学から私の理解をお伝えしますね。

特にバガヴァッド・ギーターの教えが理解の助けになると思いますが、「結果は神のもの、結果に執着せず、為すべき事を為せ」というバガヴァッド・ギーターの中心的な教えです。
私たち人間は結果を受け取る側であって、結果を選り好みして選ぶ立場にはありません。

ではなぜ私たちは一生懸命生きるのか?
それは、人生を全うするためです。

つまり死に様は選べません。でも生き様は選べるのです。

どんな死も、納得のいく死なんてないと私は思います。
例え大往生と言われる老衰だとしても、もっと食事をしっかりしていれば、もっと逢いにいっていれば、 あの時ああしていれば・・・と人は後悔するものです。
そして、罪のない人が悲惨な死を遂げることもあるし、人を苦しめても生き続ける人もいます。

それを神が決めているのであれば、神を否定したくなる気持ちも分かりますが、 神ではない私たちが神の采配を理解できるはずもないですし、 そもそも神は永遠で一元的存在なので、善悪や正解・不正解という概念もありません。

悲惨な死を遂げた人が、何故そうなったのか? カルマの視点から「前世の罪が・・・」とかいう人もいますが、はっきり言って確かめようがないし、説得力ないですよね。
被害者のことも加害者のことも私は知らないですし、メディアの情報ほど信用できないものはないです。
そして「こうすれば楽に死ねます」なんて怪しい宗教のような教えも、ヨガではありません。

大切なのは、最初に書いた「死に様は選べない。でも生き様は選べる」だと私は思います。
〇〇さんは死=結果ばかり見ていますが、亡くなった方の生き様を見ようとしていますか?
その方は悲惨な死を遂げたのかもしれませんが、少ない人生を必死に生きたのではないでしょうか?
その被害者の方が、家族や友人にたくさん笑顔を与えた人生だったら良いなと思います。

私は、死=結果よりも、生=何を為したか、を大切に考えています。
私だって、明日交通事故に巻き込まれるかもしれないし、通り魔に襲われるかもしれない。 どんなに気をつけても病気にかかるかもしれないし、健康に年老いていくかもしれない。
私自身の死に様は選べない。 自分の死が、自分の望まない形だとしても、私の生き様は自分の納得できるものを選びます。

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色んなご意見があると思いますし、この答えが正解だとも思いません。
でも、ヨガを学び実践してきて私が感じていることが、何か1つでも皆さんのヒントやきっかけになることを祈っています。

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